なによりも、客席に足を運んでくださったみなさま、ありがとうございました。
そして出演してくださったミュージシャンのみなさんに心より感謝を申し上げます。
この50周年ライヴが成功だったと言ってもらえるならば、
それは出演してくださったアーティストのみなさんの素晴らしいパフォーマンスによるものです。
そして音響、照明、他スタッフ諸氏、ありがとうございました。
楽しい打ち上げでした。
カタログハウスの神尾京子さんが紹介してくれた打ち上げ会場の台湾料理屋は
気分のいい店でした。
高畠ワインがお祝いにと贈ってくれたスパークリングワイン30本、店の冷蔵庫で預かってくれました。
はい、ワインはあっという間にミュージシャンの胃袋に流し込まれました。
打ち上げの店は梯子となり、気がついたら坂田明、田中邦和両氏に護られ、
店を出たときには朝でした。
僕は今、自分の音楽活動を、「谷川賢作以前以後」と考えています。
2005年のアルバム“NO GOOD WITHOUT YOU”で、
初めて賢作さんとじっくり仕事させてもらいました。
その仕事を契機にぼくは変化しました。
なにがどう変化したのか自分でもよく分からないのですが、
なにか音楽を大事にするツボのようなものの捉えどころが変化したのかな、という感じです。
客席においでいただいた方の中には、50周年ということで、
小室等の活動50年をひとつずつ振り返るような曲のラインナップを期待してくださった方も、
少しくおいでになったみたいです。
そのご期待にお答えするのが順当だったかもしれないのですが、
ぼくの中にその発想はまったくありませんでした。
ツボの捉えどころが変化したところの自分を表現することしか考えませんでした。
参加してくれた「賢作以前」のミュージシャンにも、
「賢作以後」のミュージシャンにも、
変化したツボでアプローチさせていただきました。
それもこれも、2005年の賢作さんとの出会いのおかげです。
これからも、どんどん変化していきたいです、可能なかぎり。
もうひとつ、今回の50周年が抱えていた問題は、3/11です。
50周年の当日7月11日は震災から4ヶ月目でした。
地震で揺らいだ立ち位置、
津波にさらわれた立ち位置、
原発事故の被害の前でぼやけてしまった立ち位置。
特に原発事故は、ぼくから歌う動機を奪っていきました。
しかし7/11は、参加してくれたミュージシャンのみなさんの力を借りて、
それでも歌う、と決意した日でした。
「歌にできることは少ないけれど、歌だけにできることもある」ということを
実感した日でありました。
そして今、さらに一ヶ月が過ぎようとしています。
正直、立ち位置は未だに不安定です。
だんだんよくなっている、とも思えません。
日本全体が、とりわけ地震、津波、原発事故の被災地が揺らぎ続けているのに、
自分だけ揺らがないでいるなんて不可能です。
この揺れを治めるのには長い長い時間がかかるでしょう。
それでも、ぼくたちは希望を放棄するわけにはいきません。
未来の地球のために、今人間がやるべきことがあります。
7/11は、そのことをぼくに教えてくれました。
ありがとうございました。
小室 等
追記:
会場で皆さまからお預かりしました募金。
「ゆめ風基金」「日本チェルノブイリ連帯基金」に送金いたしました。
ご報告。
(2011/07/20)